第二回 論文投稿に思うこと

平成23年度 研究室便り

おかしい、最近どうもおかしい!

何がって?

学生と一緒にやってきた卒論や修論を、やっとまとめた論文が国際誌に通らないのだ! 20年以上前から、論文を書いては外国に送り審査を受けて来たが、あの当時も雑誌に自分の論文を掲載させるのは大変な時間と労力を要してきたが、しかし最近は特に審査を通すのが大変になってきた気がする。

そりゃ、10年ひと昔だから、技術が指数関数的に進歩している今日は当時の研究レベルと比較すると格段に高いので、審査の閾値が高くなるのも当たり前と思うかもしれないが、その時代の実験技術の進歩率と研究者個人の研究能力の進歩率は必ずしもパラレルでは無い。多くの場合は、インフレ率に従って賃金の上がらない労働者の財布の中と同じで、実質賃金が目減りし、パンの耳をもらって飢えを凌ぐようなものである。

いや、仮にパラレルであったとしても、ある一定レベルの雑誌への掲載確率は確実に下がってきている様に思う。

私が企業の研究者だった頃と較べると、大学教員と云う職業が絶対的に有難いと思うのは、個人的な知的欲求を学生と一緒になって満たすことが出来る点である。

企業の場合は、どうしても営利目的が主体であるため、企業の目的のための研究にのみに羅針盤が向く。“あれ? これは面白いな”などと個人的に感じることがあっても、そのための研究をやる時間は与えられるはずも無いのである。否、まだ、企業で研究などやらせて貰えるのは幸せな部類の人間であり、多少能力があっても、景気の悪い今日では研究的な雰囲気の職種に就くには、ある種の運に支配されているように思う。 だからこそ、運良く学究の徒に就けた人間は毎日の追い回される時間の中で、目を皿のようにして面白いものを探し、そして、それを調べる時間を捻出しコツコツと積み上げていくのである。

でも、折角人生の大切な時間とお金をかけてやるのだから、小学校の夏休みの自由研究のレベルで研究はしたくないものである。また、出来れば一人でも多くの人に自分達の研究成果を読んでもらいたい、見てもらいたいと云う自己顕示欲はこの種の職種に就く人間誰しもあるものである。だからこそ、より一般的な、世界中の“普通の人”も読む全国紙(マニアしか読まない雑誌の方がはるかに多い)のような国際誌に研究成果を出したいと学究の徒は思うのである。

ところが, である! コンピューターを立ち上げ、メールを開くと“……. I consider that the methodologies used in the study are appropriate, and all the steps followed during the research logical. However, I found the manuscript too descriptive, and focused in a very specific question to be considered of general interest.   ……”

なんじゃ、こりゃー! 3か月も前に学生と一緒になってまとめた論文へのコメントがある国際誌のレフリーから帰ってきているではないか!

“方法は適切であり論理的に組み立てられているが、記載的であり、一般受けさせるためには研究の焦点があまりにも特異的 である!…….だからダメ!”

“ゲフ”朝飲んだ牛乳が胃から逆流してきた。

面白い現象に関する遺伝子を見つけ、その遺伝子がどこで発現しているのか調べ、その遺伝子の進化の様子を調べているのに、これでもダメなのか? 確かに今流行のインパクトファクターでは5を超える雑誌であるが、本当にそうだろうか?

早速、その雑誌に最近掲載されている論文を調べてみると“ウソやんけ!”幾らでもこの論文と似たタイプの論文が掲載されいるではないか。もしかして、名前が悪いのか? AdamsとかRobertとかを我が名の前に付けてみたくなるのは、私個人のひがみなのだろうか?

 

研究のステップとして, 先ずはどんなことが起きているのかを詳細に調べ、周辺を調べ尽くす。次のステップとして、その中からユニークでありながら、ヒトなどの哺乳類にまで展開できる一般的なもの、つまり“General”な現象に繋がるものを探すのである。そのため、どうしても研究初期の周辺を調べ尽くす段階では記載的、“Descriptive”な研究になるものである。遺伝子を取るとか、その発現を調べるなどと云うのは正に、この記載的に当たるのである。しかし、これがダメだとすると“Descriptive”の反対“Functional”な研究へ展開する必要性が求められているのである。

どうすればFunctional,つまり機能的になるのであろうか? そう、名前の通り、現象を支配していると考えられる因子を操作実験により、取り除いたり、加えたりすることによりその現象を支配している因子と機能の関係を明らかにすることができるのである。ここまで来るとその現象を支配している遺伝子や蛋白を機能の視点から明確に出来、そのデーターは”Concrete”と呼ばれる。正にコンクリート、固い、しっかりしたデーターとなるのである。

最近は生理学だろうが生態学だろうが一流誌に掲載させるためには同様な傾向にあり、この”Concrete”なデーターが求められる時代になって来ているようだ。

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