第七回 Salk 研究所(San Diego)留学記

平成29年度 研究室便り

“森さんが乗る飛行機、落ちればいいのにね!”と出発直前の教授会で、ある先生から言われて思わず吹き出してしまった。しかし、まんまとSan Diegoに到着!

今回の留学先はSan Diegoにある世界のトップクラスの研究所であるSalk研究所に7か月お世話になった。この研究所は小児麻痺ワクチンの開発者であるジョナス・ソーク博士が建築家ルイス・カーンに設計させた作品として世界的に有名な建物である。建築のコンセプトは研究室の壁を取り除き相互に切磋琢磨しながらも、独り静かに勉強出来る空間の創作にあった。外見はコンクリート打ちっぱなしの建物から海を眺めることが出来るようになっている。残念ながら私の研究室はコンクリートに囲まれた地下にあり、箱庭から差し込む日差しを感じる程度であった。メンバーも私とボスを含めて6人しかいないラボ(台湾人1名、韓国人1名、他アメリカ人)である。 人数は少ないが皆生き残りをかけて研究に没頭している為、無駄話をしている人はいない。実験と論文作製に追われ、他人の事には全く興味を示さない。ただ黙々と仕事をこなす研究室で、皆挨拶すらも無く現れては去っていく。

Salkの素晴らしいところは世界中の研究者の講義がほぼ毎週のように聞ける点にある。それも、世界のトップレベルの研究者の講演を直接聞くことが出来るのである。先日も昨年のノーベル賞受賞者が来て講演をしてくれた。脳科学から免疫、ガン、糖尿病など本当に多くの講義を受けることができる。更に驚くのはセミナーの時にはピザや夕食、ビールやワインも無料で提供されているのである。この様な形式を取り、研究者同士が交流できるように図っているのである。

この研究所には専任の研究者は62名でその他300名程は全て自分達が一流であることを自負するポスドク(博士号を取得した後、大学や研究所に就職するために研究成果を出さなくてはならない期間)である。20年前は日本人が大勢いたと言われていたが、現在では中国人がそれに取って代わり、研究所全体でも日本人は十数人であった。

1つ気になることを聞いた。多くの日本人がポスドクでここに来ては、殆ど口を聞くことも無く、人と目を合わせることも無く、ただがむしゃらに、そして真面目に研究だけをして潰れていったとのことだ。私の場合は逆に人の目を見るタイプなので、それが禍して猿ヶ峡温泉で、危うく猿に噛まれるところだった。

就職先を求めて海外に来るのであれば熾烈な戦いの中に入らなければならない。その戦いと云うのは研究成果だけでは無いのだ。どのように人をまとめて、プロジェクトを成功に導くのか?と云う人心掌握術が優れていなければ生き残ることは無理なのである。当然、なんだこいつは?と思うような反日感情に満ち溢れている人間もいる。そのような人も使って行かなければならず、自分の感情をコントロールする力が無ければ心の病に犯される事になる。東アジア人の特徴として周りの目を気にするあまり、自分が嫌われているのでは?あいつは俺の事を嫌っているに違いない。特に日本人はその段階でその人との人間関係を切ってしまう傾向があるとSalkで長く働く研究者に言われた。

多分、彼らが感じた違和感は当たっており、実際は嫌われていたりするのだろうが、プライベートな感情を押し殺して目的に向かってビジネスライクに対応する能力が特に求められるのだろう。

もう一つ、海外での生活で大切な事がある。自ら交渉である!私の場合はここで使えるお金はほとんど無く、日本から持ってきたお金は自分の滞在費と飛行機代ですら賄いきれないのであった。そうなると、自分の研究を発展させるためには、どのようにボスや他の研究者を説得してお金を出させるかがポイントになる。つまり、交渉である。この抗体を使いたい、電子顕微鏡で観察したい!色々な事が出てくるが、それをどのように論理建て、相手の心の中に入り込むのか?を考えながらの生活である。アメリカも研究費を手に入れるのは大変だと言っていた。お金が無いボスは、出来るだけ研究費を削減す方向で動いている、私はボスとの共同研究を展開するためということで来ているが、彼自身の研究では無いため、予算削減の一番の対象になるのである。当然である!私がボスでもそうするだろう。

私の仕事のほとんどは共焦点レーザー顕微鏡を使ってアフリカツメガエルやエゾアカガルの脳や皮膚、その他の臓器でのある蛋白の発現を観察することであった。その中で、エゾアカガエルの皮膚に陽イオンを取り込むセンサーのような物が沢山付いていることを見つけた。どうしてもそれを電子顕微鏡(SEM)で観察したいのだが、ボスから許可が下りないのだ。さて、どうするかだ?SEMはバイオフォトニックセンターにあるので、取り敢えず、自分が撮ったサンプルの写真を持ってセンターに乗りこんでみることから始まった。

Hey, there!  ここにSEMの専門家はいる? これ、とても面白い写真なんだけれど、見てよと免疫染色のデーターを見せながら交渉を開始する。但し、“お金は無いんだ!”は全ての話が終了する段階で口にした。それでも、交渉は成立し、実験は動き出した。 交渉の成否は相手に興味を持って貰えるか否かにかかる。でも、これは我々が生きる過程で何かを手に入れるためには絶対に必要である。若き頃、好きな人とのデートを成功させるためにも、そして今、研究費を手に入れるためにもである。

さて、ここでの生活は22年前のカナダに留学した時とは異なり、研究や住居環境などで様々なトラブルに見舞われる事になったが、それは別な機会にお話ししたい。

人生には無駄が無い!一見無関係に見える事柄は外見だけを変えながらも何度も何度も我々の前に姿を現す。それぞれの事柄は次の事象と有機的に繋がり、まるで人生の練習問題の様に我々の前に立ちはだかる。その時は青色吐息で乗り越えるが、その問題をどのように解答できたかが次の問題に大きく影響を与える。我々は深遠な人生の修行を日常の些細なトラブルから災難に至るまでに見出すことが出来る。とは言っても次に何が待っているのか?勘弁して下さいよ、神様!と言いたいのも事実である。

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