第八回 静寂に思う

 

 今日は2018年2月13日。アメリカSan DiegoのSalk研究所に来て、朝6時~夕方6時まで判で押したように黙々と仕事をして来た。

あと少しで帰国になる。この研究所には日本人はあまりおらず、少し寂しい感もあるが、英語を磨く上ではこのほうが良い。確かに、大学時代も大学院時代も何となくこの寂寥感を抱きながら生活したことを思い出す。
でも、人の成長は賑やかな中だけで起きるものではないようにも思う。哲学する力は孤独の中で培われるように思うのだ。高橋和己なら、こんな時どのように考えるのだろか?埴谷雄高ならどう思うのだろうと思いを巡らす高貴な時間を手に入れることが出来る。
そんなことを考えながら今、カリフォルニアワインを片手にパンをほお張り、ソーセージやチーズを齧って夕闇を眺めている。想像を超えて起こるトラブルや色々な人種に起因する偏見や誤解に、辟易する毎日だが、私もどうにか生きている。

学生時代にも感じたことだが、人が人により受けた心の傷は、決して美しい景色では癒されるものでは無い。人によって付いた心の傷は、傷ついた人間は自分一人では無いことを認識できた時に癒されてくるものだと思う。だから、かえって人ごみの方が、傷ついた人間には癒しになるのだと感じる。

ただ、私の様に独り、外国に居ると心の傷を癒す人間関係は築きにくい。その為か、美しい歌声を聴きたくなることが多くなった。不思議と人の歌声には癒しの効果がある様だ。疲れるどういう訳か私は白鳥英美子の歌声を聴きたくなった。

多くの若人が孤独に自死する世の中だが、それはやはり悪徳だと確信している。もっと強く生きて欲しい!確かにへこたれて青色吐息になることもある。でも、みんながそうだとしたら、自分一人が青息吐息ではないことに気がつくことが出来たとしたら、また、生き抜くことができるのではないか?

疲れ切った君たちに、もう明日は来ないと思い込んでいる君たちにも必ず明日は来ることを教えたい。

さあーみんな立ちあがって、また1からやり直おそう!他人に伝える言葉でありながら、実は自分に言い聞かせている自分に気が付く今日この頃だ。

 

 

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