第十三回 小さなオタマで大きな夢

メールボックスを開くと私の目に一つの文章が飛び込んできた。

Dear Mori.  We’re delighted to accept your manuscript, “Predation threats for a 24-hour period activated the extension of axons in the brains of Xenopus tadpoles”

やっとひとつ終わった。苦しみ抜いた研究なので、あの雑誌、次はこの雑誌と投稿しては棄却されて、最後にある雑誌に受理されたのだ。そのうちインターネツトを通して世界中の誰もが青春をつぎ込んだ私のこの論文を読むことができる様になる。

私は何年間この研究を行ってきたのだろうか?オタマジャクシがいる水槽にサンショウウオ幼生を入れて24時間もすると彼らの脳内に大量の筋肉関連遺伝子が発現してくることを見つけてから。私がオタマジャクシの脳を取り出したのだから自信を持って言える。筋肉なんて入っていない!脳以外は間違っても入れていないと。多分、10年の月日は流れたと思う。幼年期に両親から“遊んでばかりいると、お前の脳味噌は筋肉になってしまうぞ!”と言われた記憶は未だに残っている。あれは本当だったんだ!なぜ、脳内で筋肉に関連する遺伝子がこんなに沢山発現してくるのだろうか?これがこの研究のスタートであった。

全ての生き物は自分が生き残るために最大の工夫を凝らす。環境が変化すれば、それに適応するために自分の形をも柔軟に変える、これを表現系の可塑性と云う。私はこの表現系の可塑性の中でも捕食者誘導による表現系の可塑性と云う現象に取り憑かれて15、6年になる。

生き物は長い時間をかけて自分を食べようとする捕食者に立ち向かって来た。ある者は色を変え、ある者は棘の皮を纏い、またある者は自らの体に毒を含んで。私は北海道に生息するエゾアカガエルのオタマジャクシやアフリカに生息するアフリカツメガエル、ネツタイツメガエルを自分の実験材料に用いている。エゾアカガエルのオタマジャクシはかなりユニークだ。彼らはエゾサンショウウオの幼生やヤゴが生息する池や沼池に生息し、エゾサンショウウオには身体を膨満型にし、ヤゴに対しては尾部を長く、そして尾を高くして被捕食率を下げる。なぜ、彼等はこんな形態を取るのだろうか?エゾサンショウウオの幼生はエゾアカガエルのオタマジャクシを丸呑みにする。また、ヤゴは素早くオタマジャクシを捕捉し、肉を噛みちぎるようにして食べる。そのため、エゾサンショウウオの幼生に対しては彼等の口よりもオタマジャクシが大きく膨らみ事無きを得る。一方、ヤゴに対しては咄嗟の対応ができるように尾部を発達させ遊泳能力の向上を図る。それでは、アフリカに生息するアフリカツメガエルのオタマジャクシに北海道に生息するエゾサンショウウオなどを暴露すると、どうなるのであろうか?類似の捕食者には出会ったことが有るかもしれないが、エゾアカガエルのオタマジャクシのように膨満化するのだろうか?この実験の本当の意味は環境が変わり、見慣れない捕食者に出会う事は生物史の中でもよく有ることであろう、そしてそれは生物進化の適応戦略の初期応答を見ることを意味する。また、実験動物として良く知られたアフリカツメガエル(Xenopus laevis)は全ゲノム解析が終了しているので、遺伝子のレベルからも解析することが可能となりサンプルとして魅力的である。

さて、日本のサンショウウオを添加されたアフリカツメガエルのオタマジャクシは尾部の筋肉を伸長させ、そして24時間後には脳内に大量の筋肉関連遺伝子を発現させていた。10日間もサンショウウオに晒されていたオタマジャクシの脳内では酸素欠乏の時に発現してくるHif遺伝子が大量に発現していた。オタマジャクシも10日間にも渡る恐怖ストレスで酸欠になるのだろう。大量の情報を処理する脳は常に酸素が必要である。私も若い頃、上司に連れられて説教酒を味わったことがある。大して呑んでもいないのにタクシーを降りてからの記憶があまり無い。翌日、家の前から道路まで吐瀉物が点在し、昨日の無念を物語っていた。ストレスにより血管は収縮し、アルコール代謝も満足に出来ず血中アルデヒドが増加したのだろう。我々人間も彼らと同じなのである。

最近のゲノム解析によりこのXenopusは人間の病気の遺伝子を約8割も持つことが判っている。つまり、彼らを見ていると自分が見えるのである。

さて、話を続けよう。この24時間に彼らは脳内の多くのシグナル伝達(何十もの遺伝子が関連して動く生理現象)を一気に変えたのだ、そしてActin Cytoskeletonと云うシグナル伝達を活性化させ、神経軸索のアクチンと云う筋肉関連タンパク質を螺旋状に巻きつけ神経軸索を伸ばしているのではないか?と推測できた。この仮説を証明するためにアフリカツメガエルのオタマジャクシの鼻孔に神経を染色する色素を入れた。すると、サンショウウオと一緒に24時間飼育したオタマジャクシは鼻孔から脳のホルモンを分泌する器官の近くまで神経軸索を伸ばしていたのだ。神経軸索を伸ばすためにアクチンなどの筋肉関連遺伝子が大量に発現していた事が判った。他にも彼らはこの24時間でCREBシグナリングを活性化し記憶や認知機能を向上させている事が推測できた。オタマもなかなかやるものである。彼らはこの捕食者適応のために人間では全く制御できない病気の遺伝子もコントロールして生き残りを図っている事も判ってきた。つまり、この小さなオタマは進化生物学のモデルのみならず人の病気のモデルになる可能性もあることを示すのだ。こんな話をすると人は笑うが、ブレークスルーは思いも寄らないところに有り、それに気が付く者のみが新たな道を開くのだ。

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